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第6回 「タイ山岳民族の村に暮らす」 吉田清さん

2015年9月23日 配信

「タイ山岳民族の村に暮らす

タイ山岳民族の村に暮らす http://blog.goo.ne.jp/ikukiyo

  著書『「遺された者こそ喰らえ」とトォン師は言った』やチェンマイ発行のフリー情報紙『CHAO(ちゃ~お)』に連載を持つ作家、吉田清さんのブログ。ブログのタイトル通り、タイの山岳民族カレン族集落があるオムコイに住み、ゲストハウスOMKOI BAMBOO HOUSEを経営。なんと普段の旅行ではなかなか経験できないカレン族生活体験ができるそうで、多くの旅行者に暖かい素朴な思い出を残してくれる。
  しかしなぜ、彼はあえて山岳民族の村に暮らし始めたのだろう。 そこには私たちが想像しえない壮絶な過去があった。

Q ブログのプロフィールを拝読しました。最初のころの日記には奥様を看取った経緯が切々と書かれていて、読んでいるだけで涙が出ました。奥様を亡くして、旅に出ようと思った経緯や、その頃感じたことなどお聞かせください。

  亡くなったカミさんは、30代の初めに転落事故で頸髄損傷という大怪我を負いました。20年以上も日常的な介護が必要だったのですが、それに加えての癌発症です。入院するにも付き添いが欠かせず、物書きとしての仕事も中断。病状が悪化するにつれて私自身も極度の不眠症、そして鬱病に見舞われました。
  ところが、妻の最期を看取って数ヶ月後、今度は欝が異様な躁状態に転じました。言動がコントロールできず、人間関係はズタズタになる、仕事に復帰できる目処もつかない。まるで足元をあぶられるような焦燥感の中で、闇雲に海外に飛び出したというのが正直なところです。

Q タイには旅立つ前まで興味はありましたか?

  行ったこともなく、さほど強い関心はありませんでした。
  興味があったのは格闘技を通じたムエタイと、猥雑さが魅力の屋台くらいだったでしょうか。バンコクに初めて行ったときも、ムエタイはしっかり観戦しました(笑)。

Q チェンマイに到着するまではどんな行程で、どんな国をまわり、どんな旅をしたのですか?

  以前に本を書いたことで縁のできた中国各地、そしてNYを中心としたアメリカ各地を2年ほど行ったり来たり。その後、台湾を経て、ベトナム、カンボジア、ラオス、そしてタイへ。勢いを失うと、独楽はパタリと倒れてしまいますね。まるで倒れることを怖れるように、必死で動き回っていたという感じです。今振り返ってみれば、旅というよりもサバイバルへのあがき、という趣きが強かったように思います。

Q チェンマイに行こうと思った理由、チェンマイの印象を教えてください。

  チェンマイに関する興味も、ほとんどありませんでした。タイへの旅は、ミャンマーやインドに行く前の中休みという位置づけでしたから。ただ、初めに着いたバンコクがあまりにも暑く、あまりにも臭く(笑)、あまりにも人やクルマが多いので、ともかく少しでも静かで涼しいところへと夜行バスでチェンマイに移動しました。
  11月半ばだったと思いますが、確かに朝夕は涼しく快適だった。バンコクに較べると、天国のようでしたね。なによりも、宿のそばの市場を中心とした庶民の人たちがとても人懐っこくて居心地がいいんです。そこでついつい長居をして、何度か通ううちに、どういうわけかチェンマイが旅の終着点になってしまったというわけです。

Q カレン族の奥様にチェンマイで出会ったそうですね。どんな印象を受けましたか?

  名前はラーというんですが、甥っ子の大学入学に付き添って同じ宿に泊まっていたのが知り合うきっかけでした。ともかく、底抜けに明るくて元気なんです。ついつい部屋にこもりがちな私を、いろんなところに連れ出してくれる。でも、元気過ぎて、お酒も大好き、おまけにムエタイの使い手でもありますから、しょっちゅう路上での異種格闘技戦に発展するという具合で(笑)。それでも、カレン族の気質や風習は、昔の日本人に相通じるものがあるなあという印象でした。

Q 奥様の故郷であるカレン族集落があるオムコイにお住まいだそうですが、最初に村を訪れた時の印象はいかがでしたか?

  最初に着いたのは夜だったものですから、とにかく街灯もなくてとても暗いなあと。家は割り竹床や壁の伝統的カレン小屋で、隙間だらけです。こりゃあ、とんでもないところへ来ちまったなあという印象でした(笑)。
  ところが、翌朝村の中を歩き回ってみると、私が少年期をすごした昭和30年代の九州の農村風景みたいに妙に懐かしい感じがするんですね。村の衆も人懐っこくて、タイ人というよりも日本人の顔立ちに近い。川向こうの棚田で作っている米は、ジャポニカ種。川で一緒に水浴びをすれば、ラーは私の母親が愛用していた「へちま」を使っている。こりゃあ、ひょっとしたら面白いかも知れんなあ、と前夜の印象がガラリと一変しました。

Q 衝撃的なできごともあったのではないですか?

  衝撃というほどではありませんが、近所に住む従弟の女房が酔っ払った亭主を山刀を手に追っかけ回している光景には、驚き呆れ、しまいには大笑いしました。典型的な女系社会ですから、やはり女性が強いんですよ(笑)。それに、近所は親戚だらけなので人間関係を把握するのにとても苦労しました。なにせ、知らない奴が勝手に家に上がり込んで冷蔵庫を開けたり、焼酎を飲んだりしているんですから(笑)。焼酎といえば、朝から飲む習慣があるし、祝い事などで献杯を受けると一気に飲み干すのが礼儀なんです。初めは村になじもうと律儀に付き合っていたので、3ヶ月目には胃カメラを呑む羽目になりました。むろん今は、適当にあしらっていますけどね。

Q コミュニケーションはタイ語でしょうか。習得までのエピソードを教えてください。

  妻のラーがブロークンな英語を話すので、ついつい勉強をさぼってしまい、今もってタイ語はごく簡単な日常会話程度です。村ではこれに、まったく別物のカレン語が混じりますから、もう何が何やら(笑)。夫婦喧嘩の際には、英語、日本語、カレン語、タイ語の国際色豊かな罵声が飛び交います。

Q カレン族はどんな人たちですか?一緒に過ごしてみてどんなことを感じますか?

  タイ人の大らかさ、いい加減さと、日本人の律儀さ、生真面目さを併せ持った不思議な人たちです。つい最近知ったことですが、カレン族も日本人も中国の雲南に起源する「倭族」の仲間だという学説もあるそうです。そう言われてみれば、顔立ち、仕草、冠婚葬祭の風習、作って食べる米、ヘチマや天秤棒や竹細工などの生活用具等々に、共通のDNAを感じることしばしばですね。

Q 経営されている宿ではカレン族の暮らしを体験できるそうですね。なかなかできない体験だと思うのですが、旅行者の反応はいかがでしすか?

  今年の2月から、「カレン族生活体験民泊小屋 OMOKOI  BAMBOO HOUSE」を始めました。カレン族の伝統的な割り竹床、壁の小屋をベースにして、薬草入り焼酎試飲、カレン&サプライズ料理、星空観察、棚田散策、川漁(投網、丸網)、滝遊び、カレン織り見学・試着、農作業、冠婚葬祭などを体験していただいています。
  前にも触れたように隙間だらけの粗末な小屋なんですが、割り竹の床はふわふわした不思議な感覚がありましてね。どういうわけか、皆さん面白いと言ってくださいます。
  村の焼酎は、薬草が味を和らげるためか男女を問わず人気がありますね。料理の辛さを警戒するゲストもいますが、そこは料理長のラーがゲストの要望に応じてアレンジしていますので。
  サプライズ料理は、ヘビ、カエル、野ネズミ、ムササビなどいろいろありますけど(笑)、これまで実際に試してもらったのは「赤蟻の仔入り卵焼き」くらいでしょうか。蜂の仔同様に香ばしく、サクサクした歯触りで「オイテテ(カレン語でうまい)!」と好評でした。一応は宿ですから、あんまり衝撃的な料理はお出しできません(笑)。
  川や野山の風景も日本に近いので、棚田散策や川遊びには、若い人も含めて懐かしさを感じるようですね。あ、そうそう、先日は滞在予定を延ばしてカレン織りを熱心に見学された若い女性ゲストもいました。試着をして、ぜひ欲しいということで、ラーが自分のカレン服(貫頭衣)をお譲りしたという一幕もありましたよ。

Q ブログをはじめたきっかけを教えてください。

  もう8年くらい前になるんでしょうか。妻が亡くなった直後に、物書きや編集者の集まりで「新しいツール」としての紹介と勉強会がありました。その当時、2年近くも仕事を中断していたので、これなら自分を発信する手軽なメディアとして利用できるのではないかと考えたのです。ブログなら、編集者などのチェックも入りませんからね(笑)。

Q ブログをやめたいと思ったことはありますか?

  去年は体調を壊して、数ヶ月間まったく更新できなかったこともありましたが、やめようと思ったことは一度もありません。なにしろ、山奥に居ながらにして外界と繋がることのできる貴重なコミュニケーション手段ですからね。ブログがあればこそ、これまでにいろんな人と知り合えたし、はるばるとオムコイまで訪ねてくださるゲストもいらっしゃるわけですから。実は、去年本が出版できたのも、あるブログ読者のお骨折りのおかげなんですよ。
  「こんな狭い村にいて、よくネタが尽きないもんだ」と言われることもありますが、不思議なことに毎日毎日いろんな事件が勃発するものですから(笑)。自分でも呆れるくらいに続いています。

Q 今後ご自身のブログでどんなことを発信していきたいですか?

  今まで同様に、この村での生活体験、異文化体験を楽しく綴っていくことになるでしょうね。ブログを始めた頃からそうですが、私は自分で実際に見聞したことしか書かないように心がけています。その分、話題の広がりには欠けるでしょうが、伝聞や引用には信用できない部分もありますから。自分の足と目と耳が届く半径2キロメートルの日常的生活圏こそが、尽きることのない話題の沃野なのだと信じています。

Q 吉田さんにとってブログとは何ですか?

前にも少し触れましたが、北タイの山奥に居ながらにして、タイ全土、日本、そして海外に住む友人、知人、読者と繋がることのできる魔法のツールでしょうか。

20年以上に渡る奥様の介護、そして彼女を亡くし、精神的に追い詰められ、日本を飛び出した吉田さん。人生に裏切られたような極度の辛さを味わった時に感じる「焦燥感」は、もしかして新たな運命が招いているから感じるのかもしれない。吉田さんにお話をお伺いして、大切なものを失った後にある何かについて、深く考えさせられた。
これからも末永く、チェンマイの山奥からブログというツールを通して、暖かく素朴な生活を発信し続けていただきたい。

(2013年4月10日掲載)