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第150回 俺に背番号3番をくれっ!!-いとたくの息子の3番への熱い想い-

2013年9月28日 配信

2013年9月28日 掲載

「夢追人」のタイサッカー珍道中

 日々バンコクにて指導にあたっているINFINITOサッカースクール。平日の練習の中で、技術が優れている選手や懸命にボールに喰らい付いてプレーしている選手で尚且つ挨拶等がしっかりしている選手を選抜してACADEMYクラスとして日曜日の試合に呼ばせて貰っている。

 大体10歳位になってくるとタイのチームに敵わなくなってくる。2年半~3年で選手が日本に帰国してしまう特殊な現状を抜きにしても、タイの子どもたちは本当にボール扱いが上手い。INFINITOはタイの強豪チームと多く試合を組んでおり、対戦することで見えた課題を克服…更にタイの強豪チームと互角に戦える力を付ける為に、中学生とU-12・U-10のACADEMYクラスそれぞれの特別強化練習を新たに実施することにした。

 このACADEMYクラスに選抜されると背番号&名前入りのユニホームが与えられる。それぞれに想い入れのある希望の番号を聞き、最終的にはコーチが背番号を決めている。「先月帰国した選手の背番号を、これからは俺が背負いたい」と熱い希望をしてくる選手もいたりする。こういう想いには直ぐに俺は心打たれてしまうんだよね。

 我が息子もINFINITOでサッカーを始めた。しかし年中で、まだ始めて3か月だからACADEMYには当然呼べないレベルである。そんな彼が突然「“たっくん”、俺に3番をくれっ」と言い出した。突っ込みどころ満載である。「まずは“たっくん”じゃなくて“伊藤コーチ”と呼びなさいっ(苦笑)。それにもっと×2頑張ってACADEMYクラスに呼ばれるようになりなさい」。

 2010年のアフリカW杯に合わせて、地元の先輩が息子に日本代表のユニホームをプレゼントしてくれた。“RION”という文字と共に“3”番の番号入り。この“3”という番号は、2009~2010に在籍したGiravanz北九州時の俺の背番号である。このW杯の決勝トーナメントに合わせて、小倉競輪場での日本代表戦パブリックビューイングのイベントに呼ばれた。そこでこのユニホームをお披露目するべく、息子を抱いてステージ場に上がることにした。しかし残念なことに日本代表はこの試合でPK戦により敗退、最後のキックを外したのが…背番号3番の選手であった。「このユニホーム、もう着て外を歩けないかも…」なんて思ってしまったホロ苦い思い出が詰まったユニホームなのである。

 息子は2009年3月生まれ、俺の北九州時代の記憶は多分無いであろうが、タイのRajpracha時代の2番では無く、「“たっくん”=3番」という考えを持っているようだ。彼はサッカー観戦やイベント時には今でもこのユニホームを着て出掛けていて、“スパイダーマン”のコスチュームと共に、大のお気に入りである。息子が背番号3のユニホームを身に纏いピッチを駆け回り、その試合を俺が指揮する…1日でも早く実現させたいね。その為にも息子よ…グランド場では“たっくん”では無く、“伊藤コーチ”と呼びなさいっ!!!


伊藤琢矢(いとたく)

アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
Regista in Thailand

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