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タイの今日は何の日? 10月11日は「ボーウォラデートの反乱」が始まった日

2026年10月11日 配信

毎日お届けする「タイの今日は何の日」。10月11日、タイではどのような出来事があったのでしょうか。

1933年10月11日、立憲革命から約1年4か月後のタイで「ボーウォラデートの反乱(กบฏบวรเดช)」が始まりました。ボーウォラデート親王を中心とする軍部隊がドンムアンなどを占拠し、プラヤー・パホンポンパユハセーナー政権に要求を突きつけました。



1933年10月11日、「ボーウォラデートの反乱」が始まる

1933年10月11日、タイで「ボーウォラデートの反乱」が始まりました。

1932年6月24日の立憲革命によって絶対王政から立憲君主制へ移行した後、タイでは新たな政治体制をめぐる対立が続いていました。

元国防相のボーウォラデート親王を中心とする地方の軍部隊は10月11日、ドンムアンを拠点としてバンコク方面へ進出。プラヤー・パホンポンパユハセーナー首相率いる政府に対して要求を突きつけました。

政府側はこれを受け入れず、翌12日から武力衝突が本格化しました。

政府軍側では、後に首相となるルアン・ピブーンソンクラームも部隊の指揮にあたりました。

戦闘は数日間続き、反政府側は次第にバンコク周辺から撤退。政府軍が追撃し、10月25日までに戦闘は終結しました。

ボーウォラデート親王はその後、国外へ逃れました。

「ボーウォラデートの反乱」は、1932年の立憲革命後に起きた最初の大規模な武力衝突の一つとして、タイ近現代政治史の重要な出来事となっています。

1997年10月11日、「人民憲法」と呼ばれた1997年憲法を公布

1997年10月11日、「タイ王国憲法 仏暦2540年(1997年)」が公布・施行されました。

タイにとって16番目の憲法で、憲法制定議会によって起草されました。

制定過程で幅広く国民の意見を取り入れたことなどから、「人民憲法(รัฐธรรมนูญฉบับประชาชน)」とも呼ばれています。

この憲法では国民の権利や自由の拡充に加え、選挙管理委員会や憲法裁判所など、政治制度を監視するための独立機関も整備されました。

1997年憲法は約8年11か月にわたって施行されましたが、2006年9月19日の軍事クーデターによって廃止されました。

日本・世界では

日本では1945年10月11日、幣原喜重郎首相が連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーと会談しました。

この会談でマッカーサーは、日本社会の民主化に向けた改革を求めました。

女性の解放、労働組合の奨励、教育の自由化、秘密警察制度の廃止、経済制度の民主化という内容は、後に「五大改革指令」と呼ばれるようになります。

また、マッカーサーは憲法の自由主義化についても示唆しました。

この会談を受け、日本政府は憲法問題の調査を進め、戦後の日本国憲法制定へ向けた動きが本格化していくことになります。

世界では1968年10月11日、アメリカの有人宇宙船「アポロ7号」がフロリダ州のケープ・ケネディから打ち上げられました。

アポロ計画で初めて宇宙飛行士を乗せた有人飛行で、ウォルター・シラー、ドン・アイゼル、ウォルター・カニンガムの3人が搭乗しました。

1967年1月には、地上試験中の火災によってアポロ1号の宇宙飛行士3人が死亡しており、アポロ7号は事故後初めて行われた有人アポロ飛行でした。

約11日間にわたる地球周回飛行で宇宙船の各システムを試験し、翌年のアポロ11号による月面着陸へ向けた重要な一歩となりました。

※出典
キング・プラジャディポック研究所「กบฏ」
キング・プラジャディポック研究所「พระยาศรีสิทธิสงคราม」
タイ国会博物館「รัฐธรรมนูญฉบับที่ 16 ปี 2540」
Thai PBS「ย้อนเหตุการณ์สำคัญทางการเมือง ในเดือน ตุลาคม」
国立国会図書館「幣原首相・マッカーサー会談 1945年10月11日」
国立公文書館「誕生 日本国憲法」
NASA「Apollo 7」
NASA「Apollo 7 Launches on October 11, 1968」