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第250回 “いとたく”がサッカーから学んだモノ-選手時代を振返る-

2015年7月14日 配信

2015年7月14日掲載

「夢追い人」のタイサッカー珍道中

“いとたく”は色々な経験をしているね…と知人友人から最近特に言われることが多い。だから何となくであるが、自分のサッカー選手としてのキャリアを振返ってみることにした。
自分の実力に自信を持てなかった俺は、社員としてサッカーを続けられる環境(アマチュア)に拘り大学卒業後の進路を探していた。
俺がNTT関東SC/大宮アルディージャに所属していた頃(大学卒業後の2年間)はJ2が無く、Jリーグの1つ下のカテゴリーとして旧JFLが存在した。Jリーグ準加盟チームがJリーグへ昇格を果たすための戦いの場として存続したリーグで、俺はここでの戦いで”J昇格を目指す戦い”に触れ、街が1つになれるというモノ凄い熱い世界を感じることができた。
大宮を戦力外となり営業職に就いてセカンドキャリアをスタートさせた頃は関東リーグに所属した。”営業職務を全うしなきゃ”という想いと”旧JFLで全国に試合のため遠征に行くことが当たり前の生活に戻りたい”との想いがいつの間にか逆転して、毎日勤務時間を終了すると身体を動かしに出掛けていたっけ。ここから1年半後転機が訪れることになろうとは…。
“アマチュアNo.1チームを目指している”という佐川急便東京SCから獲得したいと連絡が届く。再び戦いの舞台が地域から全国へと移れることに喜びを感じていた。佐川急便東京SCにはまる6年間8シーズンに渡って所属。全国社会人大会や全国地域大会等アマチュアで獲れるタイトルはほぼ手にすることが出来たし、天皇杯ではJクラブを破り勝ち上がることを最大のモチベーションとして戦っていた。
30歳を過ぎ、スタメンの座を失っていた俺に今度は当時中国リーグに所属していたファジアーノ岡山からオファーが届く。「社員選手としてなら…」という条件付で移籍を承諾、2年半でJFL、そしてJへと駆け上がるチームの戦力に少しはなれたかなと感じるし、クラブの環境整備にも自分の経験を伝えることで貢献出来たのではないかな。
ここでサッカー選手としての最大の転機が訪れる。チームが強くなるにつれ”Jを目指すチーム”の一員としてプロ契約の決断をしなければならなくなった。33歳でプロサッカー選手、自分以外の選手はみな20代の若い選手というチーム事情ということで話題性は抜群だったかな。だから「Jリーガーを目指します」と口にすることで、やらなきゃいけない環境へと自分を置くことにした。
岡山でのJリーガーは実現出来なかったが、ニューウェーヴ北九州/ギラヴァンツ北九州でチームがJリーグ昇格を達成すると共にJリーガーとなった。デビューは36歳4ヶ月と最も遅い日本記録のおまけつき(あまり嬉しくない)。そしてタイでもプレー出来た。
これからプロを目指している子供達へは、もしプロであれアマチュアであれサッカー選手として社会に出た時に、「自分には何が出来るか、何が求められているか」を常に見つめ直しながらプレーして貰いたいし、選手を全うして欲しいと願う。
ざっと書き出してみたが、俺はサッカーからこれだけのモノを学ばせて貰っているのだなぁと…そしてこれからはここタイで教え子達からも学ばせて貰えたらなと感じる。


伊藤琢矢(いとたく)

アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
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