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毎日お届けする「タイの今日は何の日」。10月6日、タイではどのような出来事があったのでしょうか。
1976年10月6日、バンコクのタマサート大学タープラチャン校で、学生や市民が多数の死傷者を出した「10月6日事件(เหตุการณ์ 6 ตุลา 2519)」が発生しました。同日夕方には軍部がクーデターを起こして政権を掌握。タイ現代政治史の大きな転換点となりました。2026年は事件から50年となります。
1976年10月6日未明から朝にかけて、バンコクのタマサート大学タープラチャン校に集まっていた学生や市民に対し、治安当局や右派勢力などによる武力行使が行われました。
当時、タイでは1973年10月の民主化運動によって軍事政権が終わった後、政治的な対立が激しさを増していました。
1976年9月には、1973年の政変後に国外へ退いていたタノーム・キッティカチョーン元首相がタイへ帰国。これに反発した学生らが抗議活動を展開し、タマサート大学にも多くの学生や市民が集まっていました。
10月6日早朝、大学への攻撃が始まり、銃撃などによって多数の死傷者が出ました。
犠牲者数については資料によって違いがありますが、キング・プラジャディポック研究所の資料では、少なくとも39人が死亡、145人が負傷したとされています。また、多数の学生や市民が拘束されました。
この出来事は現在、タイでは一般に「6 ตุลา(ホック・トゥラー/10月6日)」と呼ばれています。
10月6日の出来事は、タマサート大学での衝突だけでは終わりませんでした。
同日午後6時ごろ、サガット・チャローユー海軍大将を中心とする軍部が「国家統治改革団(คณะปฏิรูปการปกครองแผ่นดิน)」を名乗り、セーニー・プラーモート政権から権力を掌握しました。
軍部は1974年憲法を廃止し、国会を解散。政党活動も停止させ、戒厳令を敷きました。
その後、ターニン・クライウィチエンが首相に就任し、タイの政治は再び軍部の強い影響下へ入っていくことになります。
また、事件後には多くの学生や知識人が都市部を離れ、タイ共産党の活動地域へ向かうなど、その後の政治情勢にも大きな影響を与えました。
2026年10月6日で、「10月6日事件」から50年となります。
タマサート大学では同日、タープラチャン校の「タマサートと民主主義闘争の歴史彫刻公園」で50周年の追悼行事を開催します。
行事では、僧侶への托鉢、犠牲者への黙祷、犠牲者の名前の読み上げ、献花などが行われます。
大学はこの行事について、事件を追悼するとともに歴史を学び、失われた人々を悼むためのものとしています。
半世紀が経過した現在も、10月6日はタイ社会にとって、政治的な対立と暴力、民主主義について振り返る重要な日となっています。
10月6日は、タイの国名の歴史でも重要な日です。
1939年10月6日、「国名に関する憲法改正 仏暦2482年」が官報に掲載され、憲法上の国名が「サヤーム(สยาม)」から「タイ(ไทย)」へ変更されました。
この憲法改正自体は10月3日付で制定されましたが、法律は官報に掲載された10月6日から施行されました。
それまでの「サヤーム王国憲法」は、これにより「タイ王国憲法」と改められました。
※出典
タマサート大学「ครบรอบ 50 ปี 6 ตุลา 2519」
キング・プラジャディポック研究所「6 ตุลาคม พ.ศ. 2519」
キング・プラジャディポック研究所「คณะปฏิรูปการปกครองแผ่นดิน พ.ศ. 2519」
キング・プラジャディポック研究所「รัฐธรรมนูญแห่งราชอาณาจักรไทย พ.ศ. 2475」
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