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本サイト「タイランドハイパーリンクス」のコメント欄には、日々さまざまな声が寄せられています。多くは、タイに関心を持ち、文化や社会、人々への興味から素直な感想や体験談を投稿してくれる人たちです。専門的な知見を交えた意見や、愛情ある指摘も少なくなく、コメント欄がちょっとした議論の場になることもあります。やはり、タイが好きでこのサイトを訪れてくれる人が多いのでしょう。
――でも、中にはそうでない人もいます。
なぜか毎回のようにタイをこき下ろすコメントを投稿し続ける、ほんの少数の存在。どんな記事でも「また来たか」と思わせるような、否定一辺倒の書き込み。その投稿頻度と、毎回同じような内容を繰り返す様子を見ていると、ふと画面の向こうのその人のことを思い浮かべてしまいます。
そこで、疑問が湧きます。
「なぜそこまでして、わざわざタイの悪口を言いに来るのだろう?」
正直、タイが嫌いなら、タイの情報に触れないのが一番です。それなのに、あえて見に来て、あえて不満をかかえて、あえて悪口を書き込む――まるで自分で自分を苦しめているようにも思えて、なんだか切なくなってしまうこともあります。同じように思いながらコメント欄を眺めている方も、少なくないはずです。
ちょうど1年前、『自分のコメントに何度も「Good」を押す人、他人のコメントに何度も「Bad」を押す人の気持ちをAI先生が考察』という記事を掲載しました。たくさんの反響をいただき、コメント欄も大いに盛り上がりました。そこで今回も、AI先生に率直な意見を聞いてみることにしました。「なぜタイの悪口を言い続けるの?」と。以下は、あくまでAI先生の意見としてお読みくださいね。
もっとも分かりやすく、そして人間的な理由です。むしろ、いちばん納得できる理由かもしれません。そして理解もしやすいです。
タイで詐欺に遭って大金を失った。愛したタイの人に裏切られた。信じていた現地スタッフが姿を消した。あるいは、タイに移住したものの、文化の違いや暮らしのギャップに苦しんだ――そんな体験を抱えている人もいるでしょう。
こうした「負の経験」が怒りや不信感となって蓄積し、やがてコメント欄という出口から噴き出すのです。期待していたぶん、傷ついた。愛していたぶん、裏切られた気がした。そんな感情がこじれて、タイを貶める言葉に変換される。ある意味でそれは、未練の裏返しとも言えます。
そしてその未練を、誰かに知ってもらいたい。他の人にも同じ気持ちになってほしい――そう思って、ついコメント欄で押し付けるように語ってしまう。それは、理解されなかった過去の自分を、もう一度見てほしいという願いなのかもしれません。
これもとても多いパターンです。誰にも話を聞いてもらえない、誰にも気づかれない。そんな孤独や不安が、匿名で発言できるコメント欄に現れてしまうことがあります。
でも、「さみしい」と素直に言うのは難しい。だから代わりに、怒りというかたちで気持ちが噴き出す。「お前らは騙されてる」「こんな国に何の価値もない」といった強い言葉の奥には、「俺を見てくれ」という切実な叫びが潜んでいるのです。
そして、普通のコメントでは目立たないことも本人はわかっている。だからあえて悪口を言い、逆張りをして注目を集めようとする。共感よりも、とにかく「存在を認識してもらいたい」という気持ちが先に来てしまうのです。
誰かに反論されたら「やっと相手にされた」と感じる。反応があればまたコメントする。それはまさに、“承認欲求のループ”。
もうひとつ考えられるのは、「タイへの不満」ではなく、「今の自分自身の不満」が根底にあるというケースです。つまり、「タイが嫌い」というよりも、「今の自分が嫌い」ということなのかもしれません。
現実から目を背け、ネットだけが吐き出せる場所になっている。言葉が荒れるのは、心が荒れているから。誰かにやさしくされたい、誰かに認めてほしい。でも、その願いをどう表現していいかわからなくて、結局、悪口になってしまう。
たしかに、幸せそうに暮らしている人って、だいたい優しいんですよね。でももちろん、幸せじゃなくても優しい人はたくさんいる、いくらでもいる、山ほどいる。だからこそ、わざわざ攻撃的な言葉を選んでしまう人の姿に、余計に切なさを感じてしまうのです。
コメント欄でタイを否定するその言葉には、実は「自分自身を否定している声」が重なっていることもあるのかもしれません。
ここまでいろいろ理由を挙げてきましたが、「どれにも当てはまらないな……」と思った方がもしいたら、最後にひとつ、ちょっと変わった仮説を。
――ひょっとして、ただのサイコパス?
……もちろん冗談です(笑)。
でも実際、ごく少数ではありますが、「人を怒らせること自体が楽しい」「場をかき乱したい」だけのために書き込む人もいます。
誰かを傷つけたり混乱させたりすることに、なんの罪悪感もなく、むしろそれを娯楽のように感じているような――そんなタイプも確かに存在します。
とはいえ、この記事をここまで読んでくださっているあなたに限って、そんなはずはありません。
だって、ちゃんと読んでるってことは、少なくとも“考えよう”としてくれてるということですからね(笑)。
怒ったり、否定したりしたくなる気持ちは、誰にでもあると思います。でも、もしほんの少しでも「誰かに届いてほしい」と思う気持ちがあるなら、一度だけ、普通の言葉でコメントを書いてみてはどうでしょうか? 強い言葉じゃなくても、人は読んでくれます。そのうちきっと、あなたの意見にうなずいてくれる人、喜んでくれる人、もっと良い話に広げてくれる人が現れるはずです。
それでも気が重いときは、一ヶ月くらい、タイの話題から離れてみるのも一つの方法です。無理に見なくてもいいんです。少しだけ距離を置いて、風の音でも聞いてください。それだけで、心の調子がほんの少し戻ることもあるかもしれません。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。ご意見はコメント欄へどうぞ。
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