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NACC(国家汚職防止委員会)への弾劾を求めるキャンペーンが始まる

2018年12月29日 配信

先に報じた、タイのNACC(国家汚職防止委員会)がプラウィット副首相の腕時計問題に違法性が無いと判断し、タイで批判が拡大している事を伝えた以下のニュースについて、続報です。

NACC、プラウィット副首相の腕時計問題は違法性無しと判断!タイ世論から批判

タイメディアは各報道とも、批判の声の高まりを伝えています。



そんな中で2018年12月29日のBangkok Postが以下の通り、ニュースを伝えています。

Campaign begins to impeach NACC(NACCを弾劾する運動が始まる)|Bangkok Post

タイトルは「NACC(国家汚職防止委員会)を弾劾する運動が始まる」、副題は「プラウィット副首相に支配された5人がターゲットに」

上記のリンク先のBangkok Postの記事を見てもらうと出てくるプラウィット副首相の顔の写真が印象的な記事です。

記事は次のような概要を伝えています。

NACC(国家汚職防止委員会)は5対3の評決で、プラウィット副首相が資産申告をしていない腕時計を20個以上も使用していた問題について、違法性がないと判断したと発表したが、この5票を入れた人間の弾劾を求める運動が始まりました。

活動家のSrisuwan Janya氏と民主党員のCharnchai Issarasenarak氏が、このNACCの5人への弾劾を求める運動を発表しました。

NACCは12月27日の木曜、5:3の評決で、プラウィット副首相が2014年の資産申告で、腕時計などを申告せずに虚偽を申告したと疑われた事件について、違法であるとする証拠はないという結論を出しましたが、この5票を入れた5名への弾劾を求める運動です。

この5名はPreecha Lertkamolmart氏、Narong Rathamarit氏、Vittaya Arkompituk氏、Surasak Keereevichien氏、Boonyavat Kruahongs氏の5名です。

評決において、反対した3名のSataphon Laothong氏、Supa Piyajitti氏、Suwana Suwanjuta氏は、判断をするには証拠が不十分であり、より多く証拠の収集をするべきであるとしていましたが、前の5名が違法性はないと判断し、評決で5:3で違法性はないと判断されました。

これについて弾劾を求める運動を発表した活動家のSrisuwan氏は「この5名は証拠をさらに収集する事を求めなければいけなかった、これを怠った事は、タイの憲法234条1項に違反しうる行為だ」とFacebookページに書き込み、公開しています。

そして彼はこの運動で、一般の人から5名への弾劾を求める請願書への署名を求めています。彼は、署名が2万人に達すれば、NLA(国民評議会)に提出して、NLAから最高裁へ独立した調査を求める事ができると語りました。

また、この運動を提起した一人の民主党のCharnchai氏は、この5人の誠実性、客観性に疑問を投げかけており、この事件は裁判所の政治的地位保有者を裁く刑事部に送られるべきだと意見を語りました。

また本件について、各政党の反響も大きくなっています。

民主党は議会が開始されると同時に、このNACCの5人について解任を求め弾劾を申し立てる事を約束すると発表しました。

タクシン派の幹部のChaturon Chaisang氏は、この判決は予想外のものではないが、それでもやはりほとんどの人にとって耳の痛い現実を表していると述べて、この事件はもっと深刻な、国家権力の監視とバランスが欠如している問題を表している事を指摘しています。彼は、NACCの評議員の客観的な選定は政府に妨害されていて、委員会は今は正当性と独立性を欠いていると述べて、現在のメンバーを交代させるべきだと主張しています。

新しい未来党の書記長であるRangsiman Rome氏は、昨日の金曜日にNACCのこの判決を知り、失望したことを述べました。

その上で、そもそも(プラウィット副首相が主張したように借りたのだとしても、)3000バーツ以上の価値がある何かを人から閣僚が借りて申告していたとしても、それは違法であり追及されなければいけないと語りました。

「国民はNACCの調査結果を待っていたが、その結論はGen Prawitの主張そのものでした。
私たちは、NACCの判決の”根拠”を知りたいのです。それはPrawit副首長の主張コメントだけなのでしょうか?」と語りました。

(記事はこの後、NACCの事務局長のコメントなどを紹介し、NACCは法律に則って判断した事、この判断は事実、証拠、法律に基づいたもので、外部の影響を受けない事などの話を紹介しています。)

報道されている内容の概要は、上記の通りです。

外国人の目線で見ると、NACCが、どれだけ適正な捜査をし、どれだけの証拠を集め、どのように議論して結論に至ったのか、そのプロセスと証拠資料が公開されないと、この判断が正しいかどうかはわかりません。根本的には、このような公的な議論が非公開にされている事がそもそもの大きな問題ではないでしょうか。

これは、たとえば先進国の裁判制度と同じです。

裁判では適正な裁判が行われるためには、判決という結論だけでなく、その裁判で出された証拠、出される事を認められた証拠、審議の内容が公開され、その決定が客観的に見て正しいと言えるのかどうか、これを客観的に監視される事が必要なのです。

このため、日本でも日本国憲法82条で裁判は公開を原則としているのです。

日本国憲法 第八十二条
裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。

しかしながら、単に公開するだけでは、適正な司法というのは機能しません。

そこで正しく審議されているかを監視するため、いわゆる訴訟における「手続き上の正義」(*1)が重要となります。

裁判において、裁判官が双方の主張等を吟味し、主張が正しいのかどうかを考える為に、その主張を裏付けるための適切な証拠の提出を十分に求めたか、証拠について正しいのか適切な調査を十分に行ったか、必要な尋問などを十分に認めて実施したか、双方に反論機会を十分に与えたかなど、裁判の訴訟指揮において手続きが十分に尽くされているかどうかであって、これにより裁判の判断内容が適切かどうかが監視できるようになるのです。

「法律学は、説得の学問」

このようにいわれるほど、近代的な司法とは、結論や証拠だけではなく、そのプロセスも含めて公開し、国民に広く監視をされて、その上で適切な手続きに基づいて、国民が納得できる内容で判断されたと、そう国民に納得される運用がされているかどうか、この納得感を得られる内容にすることを突き詰めるものです。

その前提で考えると、今回のNACCの評決のニュースを日本人の目線で見ると、そもそも審議内容自体が公開されていないのですから、これでは納得感は得られにくいだろうと思います。

このような批判を受けて、現状のタイの制度や運用がどう変わっていくのか、タイの今後の動きが注目されます。

PJA NEWSでは、メディアも含めて各方面への取材を実施していますので、今後独自取材の結果も踏まえて、新たにニュースに記載していきたいと思います。

(*1)訴訟における「手続き上の正義」

これについては日本の司法でも問題が大きくなっており多数の指摘がされているものです。

その日本での指摘の内容は、日本の元裁判官で民事訴訟法の大家、現在は明治大学法科大学院や米国の大学で活躍する瀬木比呂志教授の以下などに非常に詳しく、かつわかりやすく書いてありますので、ご紹介します。ご興味があられる方は是非、読んでみられてください。

瀬木比呂志教授|Wikipedia

民事訴訟法においては「民事保全法」、「民事訴訟の本質と訴訟」(いずれも日本評論社)などがあり、日本の裁判所の民事部でも教科書のように使われています。

「絶望の裁判所」(瀬木比呂志著 2014年2月19日 講談社現代新書)
<特に第4章の「誰のため、何のための裁判?」に、手続き上の正義に関する実情と問題点が書かれています。
同書発刊の際のインタビュー記事から。>

<日本の司法では、国際標準と比べて「手続き上の正義」が軽んじられている現状について>

個人の訴訟はもちろんですが、会社の訴訟でも、これはぜひとも理非の決着を付けてもらいたい、判断を求めたい、そういう事件は必ずあるはずです。損得勘定だけのことなら弁護士等を交えた裁判外での話合いが可能な場合が多いでしょうから、企業についても、あえて裁判に訴えるという場合には、それ相応の事情があることが多いでしょう。

ところが、日本の裁判官は、そうした期待を裏切って、ともかく、早く、また判断をしないで事件を終わらせるという方向に走りやすい。

もちろんアメリカでも和解は多いのですが、それなりに手続的な正義が尽くされており、日本のように、裁判官が、当事者の一方ずつに対し、別々に、延々と和解の説得を行うなどといったことはありません。

これは、裁判官が、相手方当事者のいないところで秘密裏に情報を採っている可能性があるということで、国際標準からすれば、手続的正義の基本原則に反するのです。「裁判官はそういう正しくないことはしないはずである」という幻想の上に成り立っているやり方ですが、実際には問題が大きい。裁判官がかなり自覚的な良識派でない限り、危険なことになりやすいのです。

一般にはあまり知られていない問題ですが、国民、市民、企業のいずれにも関係する重要な事柄なので、本書第4章等で詳しく論じています。

「ニッポンの裁判」(瀬木比呂志著 2015年1月16日刊行 講談社現代新書)
<第4章の1に、名誉棄損訴訟などにおいて手続き上の正義が踏みにじられている問題が実例を元に書かれています。
同書発刊の際のインタビュー記事から。>

<日本では森政権の折に、最高裁が自民党と公明党の要求で名誉棄損訴訟の認容額を上げ、かつメディアが勝てないようにして手続き上の正義も踏みにじり、言論の自由を脅かしている現状について>

事実関係を調べているうちに呆然としてしまいました。裁判所当局が、政治家の突き上げに応えて2001年に司法研修所で御用研究会を開催し、御用論文の特集が法律雑誌に掲載され、その後、一気に認容額が跳ね上がっているのです。

さらに問題なのは審理、裁判のあり方です。

たとえばアメリカでは、この種の訴訟については、表現の自由との関係から原告にきわめて高いレヴェルの立証が要求されており、2000年以前の日本の判例にも、同様の考慮はありました。

ところが、近年の日本の判例は、被告の、記事の真実性、あるいは真実であると信じるに足りる相当性(たとえ真実ではないとしてもそう信じるに足りる相当な理由があれば免責されるということ)の抗弁を、容易なことでは認めなくなってしまいました。その結果、メディアの敗訴率は非常に高くなり、「訴えられればおおむね敗訴」というに近い状況となっています。

それが、「最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難」という状況なのです。これは、認容額の一律高額化以上に大きな問題です。いわば、「知る権利」の基盤が裁判所によって掘り崩されているわけです。

「日本の裁判所は『憲法・法の番人』ではなく『権力の番人』である」という傾向は昔からあったのですが、それでも、ここまで露骨なことはさすがにかつてはなかったような気がします。

※瀬木比呂志教授の新刊

裁判官・学者の哲学と意見 (瀬木比呂志著 2018年11月27日刊行、現代書館)

本書の第6章には「著者が目撃した凋落著しいアメリカ社会の現状とそれを踏まえての日本への提言」が書かれており、特に興味深いです。

(出版社書評より)
明治大学法科大学院教授であり、元裁判官による社会派エッセイ。リベラリストである瀬木氏が、さまざまなテーマからリベラリズムの意義と役割を詳解。法律家(裁判官、検事)の中にすら法治主義を理解していない人物がいる現状を踏まえ、マスコミにも市民にも法律・司法制度を理解する重要性を示す。別の章では教養の大切さを検証し、さらに別の章では自身の生い立ちや闘病記を記し、個として生き抜くためのリベラリズムと教養の重要性を説く。生前に付き合いのあった稀代のリベラリスト鶴見俊輔氏についても詳述する。