2012年12月6日 掲載
佐川急便東京SCからFagiano岡山へ移籍したシーズンのオフ期間の2007年1月に、チームには”自主トレ”と偽り、家族旅行でハワイに行った。街中を散歩していると芸能人やサッカー選手に多く遭遇していた。女優の生田智子さんも見掛けていて「あれ、ゴン中山(選手)の奥さんだよねぇ」なんて家内と話していた。
旅行最終日の夜、この日も街中を散策していると多くの人に写真をお願いされている人がいた。「おぉ、ゴン(選手)じゃん!!」滅茶苦茶興奮した、だけどその当時(今もかな!?)引っ込み思案だった自分は「えぇ、(話しかけなくても)良いよぉ」と…それを見兼ねた家内が「うちの旦那、サッカーをやってまして…」と話し掛けてくれた。
自分を1サッカー選手として対等に話してくれた事に感激した。”佐川時代に天皇杯で2度対戦した(1回はマッチアップしている)事”や”(その当時)Jを目指しているFagiano岡山”についても話した。「どんな形であれ、もう一度対決しましょう!!」と約束して一緒に写真を撮らせて貰った(この時の写真が日本にあって、今回は掲載出来ず無念!!)。去り際に「40歳まで現役でいろよっ!!」と…リップサービスだったんだろうけど、サッカーに対する熱い気持ちを注入されたのを昨日の事のように憶えている。
2010年度シーズン、Giravanz北九州がJに昇格してコンサドーレ札幌が北九州にやって来た。中山選手は札幌に移籍していた、でも自分は全く試合に絡めていなかったので、ピッチでアップする中山選手をスタンドから眺めていた。悔しかった、「何やってんだ俺」って…、当然情けなくて挨拶なんか出来なかった。」
結局、自分が中山選手のステージまで辿り着けなかった事、今年先に引退してしまった事で、中山選手との約束が2つとも果たすことが出来なかった。でも常にこの2つの約束が頭にあったから、この歳まで選手として身体を張れていたのだと思う。中山選手に影響されて「俺も頑張る!!」と戦ってきた人達はサッカー選手のみならず、本当に数え切れない程いるのではないだろうか。
先日行われた“未練タラタラの引退会見”、最後までゴン中山選手らしさを貫いていて、マジ格好良かったです。本当にお疲れ様&有難うございました。今後についてはまだ未決定なのだそうですが、指導者の道も含めて次の人生を歩み始めるのだそうです。タイで再会出来たら最高なんですけどね、来てくれないかなぁ!?
アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
Regista in Thailand