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第198回 在タイ日本人にとってバンコク最大級のフットサルイベント -Girasole Cup-

2014年8月7日 配信

2014年8月7日掲載

「夢追い人」のタイサッカー珍道中

今回のコラムは、1ヶ月以上も前に開催された大会についてである。どうしても書いておきたくて…6月29日(日)、在タイの日本人にとってバンコク最大級のフットサルイベント”Girasole Cup”行われた。年2回、夏と冬に行われていて我等INFINITOは、”低学年の部””高学年の部””成人の部”で3冠3連覇中のディフェンディング- チャンピオンとして大会に臨んだ。「当然対戦相手はINFINITOを目の敵にしてやってくる。そいつらより更に”勝つんだ”という気持ちで上回らねぇと上まで登り詰めれねぇからなっ!!」と”女子の部””中学生の部”に参加する選手達も加え、全員で円陣を組んで気合を入れた。

前回大会から”中学生の部”が新設され、ピッチも2面から3面へ。今大会は更に規模が大きくなり、4面使っての試合スケジュール。INFINITOは”低学年の部”2チーム、”高学年の部”2チーム、”中学生の部”2チーム、”女子の部”をエントリー。更に”成人の部”には自分も選手としてエントリーしている、試合時間も重なることが多々有り当然全てを見てやれない。だから選手達には「自分達で話し合い、考えながらプレーし戦うこと」と事前に話しておいた。

案の定俺は分刻みのスケジュールとなり、4つのピッチを走り回り指示を送り続けた。3人のタイ人コーチをそれぞれのピッチに配置させ「俺が間に合わなかった場合は…」とスタメンや戦い方をその都度伝えていたんだけど、試合開始時間に肝心のコーチがトイレに行っていたり、同じカテゴリーの別のチームを出場させてしまい途中で気付いて相手チームに謝ったり…もぅてんやわんやの大忙しであった。

初戦を落とし凹んでいた中学生Bチーム、「一枚DFを減らしてとにかく打ち合え、残り全部勝たなければ後が無い」と発破をかけたところ、このチームは3位にまで登り詰めた。予選でライバルチームに負けチーム内で言合いを始めた高学年Aチーム、「予選は通過したんだろ!? だったら下を向いてないで、決勝で再び対戦する権利を掴めよ」と…準決勝INFINITO同士の対決をPKでモノにし、このチームは決勝にて予選で負けた相手と戦う権利を手繰り寄せた。

ここまで忙しくなるとは思わなかったけれど、自分がエントリーしている”成人の部”でまともにプレーする時間は取れないだろうなぁと予想はしていた。だから今回キッチリ優勝することで”成人の部”からは退こうと考えていた。予選は全勝、準決勝も難なく突破して決勝へ、俺は初戦と2戦目以外は全くプレー出来ず仕舞い。決勝はPKとなったが苦しみながらも制して見せた。スケジュールが押してしまった関係で”中学生の部、決勝””高学年の部、決勝”と隣のピッチで急遽同時に行われることになった。一度はピッチに立つ準備をしたが、出場出来ず…優勝はしたものの自分の中でしっかりとした形でケリをつけられなかったのが残念でならなかった。

“高学年の部”が決勝で敗れ、3冠の記録は3で途絶えた。しかし”低学年の部””成人の部”で優勝、2冠4連覇を達成した。その他”高学年の部”は準優勝と3位、”中学生の部”も準優勝と3位、”女子の部”も3位とエントリー8チーム中7チームが3位以内に入るというとんでもない偉業を選手達は成し遂げてくれた。何より大会中に成長を遂げるチーム、選手が見受けられたのが凄く嬉しくてね、選手達には「タイの強豪チームの仲間入りをするんだ、この(Girasole-Cup)を目指している訳じゃねぇ」と普段は言っているんだけど…この日ばかりは「良くやった、お前たちは確実に力を付けていると思う」と労いの言葉を掛けてあげたであった。


伊藤琢矢(いとたく)

アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
Regista in Thailand

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