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第102回 引退セレモニーから一転、早くも現役復帰!? -いとたくバンコクアマチュアサッカーリーグ参戦記(Part 1)-

2013年3月15日 配信

2013年3月15日 掲載

「夢追人」のタイサッカー珍道中

契約の拗れから俺が現役を引退したのは2012年3月中旬のリーグ戦開幕1週間前。それからタイで就職活動をしてサッカーから離れる生活を選択した。何よりも「まだやれるのに…」という未練を断ち切るためにサッカーから無理やり離れようとしていた。実際5月位からsamurai×TPLさん(タイでプレーする日本人選手を応援するインターネットサイト)から”元プロ選手から見た試合観戦レポート”の話を貰って、毎節訪れるようになったタイサッカーの試合観戦中も「俺だったら…」という選手目線で観ていた。しかも契約が拗れたチームの選手達からは「戻ってこい」と沢山メールや電話を貰っていたし、実際オファーを何回か出してきたからね。「もう引退したんだ…」と口では言っていたけど、割り切れていない自分にもどかしさも感じていた。

チアダンスをしている娘は毎日寝る前に腹筋をしている。現役時代に良く娘に「腹筋見せて…」と云われて「凄ぇだろ~」と自慢げに見せていた。引退して半年位経った頃かなぁ、「たっくん、腹筋見せて…」と久々に云われたので、思いっきりイキんでから披露したんだけど、「たっくん(のお腹)、カッコ悪くなった」とボソッと言われてしまった。

それからは「もうそろそろ良いかな」と、段々とボールを蹴るようになっていった。といっても一週間に1回蹴れるかどうかという程度。「もう競技スポーツは良いや、キャッキャッ云いたい」と程よく上手いチームを求めて色々なチームを知人から紹介してもらって練習参加させて貰っていた。

そこで出会ったのが、タイ人ローカルのチームであり、タイでお世話になっている方に紹介してもらったチームであった。現在も所属させて貰っていて、時間の許す限りで練習に参加、サッカーというよりはフットサルを楽しんでプレーさせて貰っている。

そして1つ、ここのチームは友人に紹介してもらったんだけど、ハイレベルなサッカーリーグに所属していて結構…というよりはガチでタイ人や欧米人を相手にサッカーをやっている日本人チームである。ちなみにユニホームは日本代表と一緒の物、まさかバンコクで日の丸を付けてプレー出来るとは思わなかった(2009年のJFL選抜の時にタイに来たけど、その時も日の丸の付いたユニホームだったなぁ)。

「よし、現役復帰します!!」とこのチームでプレーする事を決意したんだけど、ここで待ったがかかった。何と「元プロ選手は1年半の間、アマチュアの試合に出場する事は出来ない」という規定があるというのだ。「タイだからバレないでしょう!?」と思ったのだけれど、万が一バレたらチームに多大な迷惑がかかるので辞めておいた。

そして3月、晴れて試合に出れる事になった。背番号は74、空いている若い番号が無く「1974年生まれだから」と安易な考えから選択させてもらった。試合は平日開催、仕事の関係上どう考えても前半には間に合わない…という事で45分限定の出場となった。

このチームは昨年リーグ戦2位、「今年こそ優勝を」という事だったようだが、今季はこれまで1勝とペケ2位に沈んでいる。俺が会場に来た時にはもう試合が始まっていて…先制点を奪うも2点返されてのハーフタイムに「いとたくさん」と交代出場の声がかかった。ハーフタイムのミーティングをしている選手達の和に加わったのだけれど、正直驚いた。「負け癖が付いてしまっているのかなぁ」と…サッカーは(何の根拠があるのか分からないのだけれど)1-2が一番逆転し易いスコアと云われている。なのに「ああすれば良かった、こうすれば良かった」と反省会をしているではないか!?「あんたら、勝つために試合しているんじゃないの!?ハードワークして勝つことで楽しいという感情が生まれてくるんじゃないの!?」これはちょっと荒治療が必要かもと思いながら自身デビュー戦となるフィールドへ向かった。(第103回 サッカーの神様は厳しかった(涙) -いとたくのバンコクアマチュアサッカーリーグ参戦記(Part 2)- に続く)

伊藤琢矢(いとたく)

アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
Regista in Thailand

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